父と、映画を観た
2008年7月13日この週末、神戸に住む父親が上京するにあたり、恵比寿の写真美術館で公開されたばかりの映画『いま ここにある風景』を観たいとのリクエストがあったので、今日、父と2人で写真美術館に出かけて映画を観てきました。
"産業によって極端なまでの変化を強いられた風景の広域写真"を撮り続けている国際的な写真家=エドワード・バーティンスキーが同テーマの新しい素材として選んだのが「中国」。そして、彼が中国を訪れ、撮影している姿をドキュメンタリーとしてフィルムに収めた映画が『いま ここにある風景』です。
エドワード・バーティンスキーは、人類が進化のために自然に対して行うことを声に出して批判することも賞賛することもなく、「事実と事実として」写真という形で提示するというスタンスをとっている(……のだということは、僕は今日この映画を観て初めて知った)。
その彼の撮影現場を、さらに後ろから映像が捉えていることで、「切り取られた風景(=写真)」を超えた生々しさやリアルさが伝わってくる。そんな映画。
一方、この映像は「ドキュメンタリー映画」として過剰に演出をされていないため、場面転換が唐突だったり、"飾り気"が少ないので割と静かに淡々と進む部分が(捉え方によっては)退屈だったりもして。逆に、淡々と事実が並べられる分、身に迫るものもある。
父親と一緒に映画を観るに至った経緯は、「父も歳だし、ひとりで不慣れな場所へ行かせるのは少し心配だなぁ……と思っただけ」というのが正直なところなんですが、後で奥さんから「お父さんと一緒に映画を観るなんて、久しぶりだったでしょう?」と言われてはじめて、今日の時間がどれだけ貴重で大切な時間だったのかを気付かされました。
"産業によって極端なまでの変化を強いられた風景の広域写真"を撮り続けている国際的な写真家=エドワード・バーティンスキーが同テーマの新しい素材として選んだのが「中国」。そして、彼が中国を訪れ、撮影している姿をドキュメンタリーとしてフィルムに収めた映画が『いま ここにある風景』です。
エドワード・バーティンスキーは、人類が進化のために自然に対して行うことを声に出して批判することも賞賛することもなく、「事実と事実として」写真という形で提示するというスタンスをとっている(……のだということは、僕は今日この映画を観て初めて知った)。
その彼の撮影現場を、さらに後ろから映像が捉えていることで、「切り取られた風景(=写真)」を超えた生々しさやリアルさが伝わってくる。そんな映画。
一方、この映像は「ドキュメンタリー映画」として過剰に演出をされていないため、場面転換が唐突だったり、"飾り気"が少ないので割と静かに淡々と進む部分が(捉え方によっては)退屈だったりもして。逆に、淡々と事実が並べられる分、身に迫るものもある。
父親と一緒に映画を観るに至った経緯は、「父も歳だし、ひとりで不慣れな場所へ行かせるのは少し心配だなぁ……と思っただけ」というのが正直なところなんですが、後で奥さんから「お父さんと一緒に映画を観るなんて、久しぶりだったでしょう?」と言われてはじめて、今日の時間がどれだけ貴重で大切な時間だったのかを気付かされました。
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